ましろ色シンフォニー 第1話〜最終話

原作未プレイなのにアニメを観てしまいました。けっこう邪道な気がしなくもないけどしょうがないよね。エロゲー高いからね。
個人的にエロゲー原作のアニメにはいい思い出がまったくなくて、というかエロゲーの定型ともいえるエキセントリックな方向に振りきれたキャラ設定もなかなか辛くなってきてここ数年はエロゲーにとんとご無沙汰してしまってたくらいで、それで大丈夫か不安だったんです。案の定といいますか、第1話アバンの妹の遭難とか野良メイドなどで結構つらいものがあるなぁと思っていたのですが、それはそれなのだと割りきってしまうとすっかりと没入してしまいぶっ通しで観終わってしまいました。覚悟と適応って大事だと思いました。


話はおそらくみう先輩ルートではあると思うのですが、実質のヒロインが紗凪であると誰しもが考えてしまうくらい紗凪が愛しくて胸キュンで、本気で心臓発作起こすところでした。第9話の最後の自分自身の恋心に気づかないまま傷ついて勝手に涙が出てきてしまうところとか、第10話の最後の完全なる失恋を負って雨の中泣き崩れてるところとか、もう本当に胸が苦しくなってこっちまで涙が出てきてしまいました。
自分の初恋って思い返してみても釈然としないし、なんとなく恋心らしきものを抱いた気がしただけで本当は恋なんてまだしたことがないのかもしれないし、自身の経験が貧弱極まりないので比較したり重ねあわせて語ることができないのですが、きっと初恋が始まりそして破れてしまうその様には多くの人を揺さぶる眩しい輝きがあるのでしょう。巷は失恋ソングばっかりなどと偉ぶったり、単純な好いた好かれた振った振られたを喜ぶ女子高生を笑ったり、紗凪でこんなにも心が乱れる私にはそんな資格まったくありませんがな…。


作中で無事にみう先輩と結ばれた瓜生くんですけれども、その甘々っぷりでニヤニヤできるかというとそんなこともまったくなく、その後も紗凪の心ばかりを見ていた気がします。この気持が同情なのか、それとも綺麗で真っ白な初恋が壊れるのを喜ぶ下卑た心なのかはわかりませんが、どちらにしろいちゃいちゃしてるところは耳から耳に通り過ぎてまったく覚えがないのです。…もし後者だったら相当まずい気がする。


ここまで恋の勝者と敗者がはっきりしてるのは原作ファンや負けキャラを好きな人にとっては堪えるのかもしれませんが、僕はこちらの方が次から次へと女の子を登場させて終わりの見えないハーレムにしてしまう昨今のライトノベルやアニメなんかよりはよっぽど好印象でした。確かに序盤あたりに女の子が次々と登場して取り巻かれてゆく様を見ている時はよっぽど視聴をやめてしまおうかと思ったほどですが、きちんと最後まで観ることができて大正解でしたね。前にもどこかで言ったけれど、どっちつかずで際限なく女の子を侍らせてゆく近年の風潮より、女の子に囲まれはするが最終的にいずれかのヒロインを選んで恋人(そうではない場合もあるけど)としての関係を成立させるエロゲーの方が今の僕には合っているように思います。将軍に斬られる下っ端侍にも家族がいるように、選ばれたヒロインとの甘い関係の裏で涙を流すヒロインがいる、そういうところをいつも考える僕にとっては。
しかしいいアニメでしたね、ましろ色シンフォニー。またクリスマスが近くなったら再視聴しようかしら。はぁ、俺も純白のシンフォニーに触れたいし重なる未来はどんな色に染まるのか知りてぇ…。



ここからましろ色シンフォニーとまったく関係ないけど、自分の気持ちや考えは自分自身の言葉で紡がないといけないのだと改めて思いました。他人のもっともらしい考えをさも自分のもののように思ってしまうのは、やっぱり面白くない。この感想帳を読み返すと、「あ、こいつ論の展開の仕方めちゃくちゃだし日本語もおかしいし変なところに固執してるな、本当に教育を受けた日本人かよ」といつも思ってしまうような酷いものですが、それでもその作品に触れたその時の自分の心を思い起こすことはできるので、これは必要なのだと思うのです。
それと、作品を踏破した後は可及的すみやかに書くこと。見返してみると、時間が経ってから書いたものほど適当でまったく内容がない。少なくともすぐに書いたものと比べると。めんどうくさがりは敵です。