あなたのための物語

この本を購入したきっかけは、ハヤカワの出版したゼロ年代SF傑作選にて、同じ世界を共有する”地には豊穣”が最も印象に残ったから。地には豊穣では、たとえば脳直結のインターフェースなどSFではおなじみの技術において人類の画一化が起こり各民族の文化が排除されるかもしれないが我々はそれとどう向きあうのか、という科学技術と文化のお話であると同時に、あなたのための物語の主題である死についての言及もなされていた。人類の画一化が進み、地球の重力を振りきって旅立つような日がきても、文化なんてのは存外しぶとい奴で光年先にでもくっついて来るに違いないと地には豊穣の主人公は考える。
文化とは、化石ではなく今を生きる人々に息づくものだと僕は思っています。着物の召し方を知らないし寺社仏閣の祭日も知らない僕は文化を知らない奴だと言われるかもしれないけど、お地蔵さんの前では少しの畏怖を感じたり畳で寝ると落ち着いたりするような心の在り方が人生に根付く文化だと思うのです。


あなたのための物語作中では、しぶとく人の生き方にまとわりつく文化の影響を”文化の慣性力”と呼んで、ひとつのキータームとなっています。人の一生がそれぞれの物語だと考えた時、人は自分自身の意思と同じくらい文化の慣性力を受けてしまう。もしくは、人の一生が単なる経験が蓄積されたデータベースだとしても、人の意思と彼のもつ文化の解釈によってその物語は様々に形を変える。作中に出てくるITP(経験や感情を脳に発火させることが可能な言語)が抱えていた、すべてが遠く感じられて無感情に陥る問題は感情の優先順位がうまく機能しないためだったけれども、それもデータベースを解釈する意思の問題だと考えることができます。
だから、試験用の人口人格として起動された"wanna be"が恋を通じて世界を解釈して主人公のためだけに物語を書いていく様は、そういう小難しいことを抜きにしても胸に迫るものがあります。また、主人公のサマンサはそういった人間存在の根本のように考えられるものを嫌悪し反発していたのに、病や"wanna be"の書く”彼女のための物語”や人との触れ合いを通して徐々に人間存在に必要な身体とそれに付随する意思の大切さを悟っていく過程は、彼女が死に対面するために必要な作品の主眼であるためとても念入りに描写されています。彼女自身の人口人格との対話は、作中でも好きな場面のひとつです。


そして、そんな人の心の在り方がどうであっても終わりは必ず訪れて死に至るという容赦のなさといったら。特に、物語最後の一文はなかなか衝撃的でした。


この作品はなぜか伊藤計劃に絡めて評されることが多いようだけれど、僕には作品の持つ社会性をあれこれ語るための教養もバックヤードもないし、作者の持つ背景が作品の評価に影響を及ぼすのはあまり好きじゃないのです。確かに時代に合致したからこそ評価されてる作品も少なくないはずですが、結局のところ僕は作品それ単体での評価しかできない大衆であり、今のところはそれで十分だと思っています。変に批評の真似事をして頭でっかちになるよりも、自分がその作品に触れてどう感じたかが一番大事だと思うからです。
なので上記で述べたあれこれは、かなり衝撃的だったのでなんか頭つかった感じの文章も残しとかないとなぁ、などと考えて書いたものであって、結局のところこの作品に対する大局的な感想は、少し歪んでいて悲しいお話だけれど病に侵された孤独な女性と彼女のために物語を書き続ける人口の人格のラブストーリー、なのです。


本作を読んだ後に短篇集の地には豊穣を再読したのですが、昔読んだ時とはまた違った味わいが作品に感じられて、こういう読書体験をできるのは本当に幸せなことだと思います。円環少女も読んでみようかしら。